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大阪高等裁判所 昭和39年(ネ)1502号 判決 1967年1月31日

控訴人・原告 山崎笑子

訴訟代理人 川見公直 外二名

被控訴人・被告 藤岡正

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、金一〇五万五、二六〇円及びこれに対する昭和三五年二月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述ならびに証拠の関係は、左記に附加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここに引用する。

控訴代理人の陳述

(一)  本件事故現場は車道幅が一〇米で、見透しはよく、交通量も頻繁な丁字路交差点である。この道路を自動三輪車大六ぬ五五六〇号(以下前車という)の運転者南完伊が北から南に進行し、右交差点を右折しようとしたのである。車道幅が一〇米で当然他の自動車が並列して進行してくることは予想されるのであるから、自動車運転者としては右交差点を右折するに際しては当然後方の安全を確認すべき注意義務がある。道路交通の実際においても、右注意義務は当然のこととして遵守されているのである。もし、原判決のいうように「自動車運転手は、追越禁止の場所である交差点において、右折するに際して特別の事情のない限り後方からの追越車の有無等後方の安全を確認すべき注意義務があるわけではない」とし、方向指示器を点滅するだけでたるとするならば(本件において、はたして方向指示器を点滅したかどうかは疑問であるが)、現在の交通過密都市では交通事故が増大することは必須である。

(二)  原判決は、訴外南完伊の運転する前車と、訴外土手宏朗の運転する自動三輪車大六ぬ五二一八号(以下後車という)との衝突は、もつぱら後車の運転者土手宏朗の過失によるものであるとし、右衝突の結果、前車と門西タミの接触事故が招来されたというわけのものでなく、さらに後車の運転者土手宏朗が衝突後の運転を誤るという過失が加わつて、門西タミの死亡事故が発生したとする。しかし、自動車の衝突によつて正常な意識を失つている者に運転の誤りないし過失を云々することはできない、本件門西タミの死亡事故は、後車の運転者土手宏朗と前者の運転者南完伊の過失による両者の衝突によつて発生したものである。

被控訴人の陳述

控訴人の右(一)(二)の各主張事実中被控訴人の主張に反する部分はすべて否認する。

理由

昭和三五年二月二六日午前一〇時頃、大阪市西淀川区柏里町一丁目七一番地先の東北から西南への道路に西北方より道路が交わる十字路交差点において、南進する訴外南完伊運転の前車が右折しようとし、訴外土手宏朗運転の後車が前者を追い越して南進しようとした際、両車が衝突し、後車は同交差点の西角の歩道に乗り上げ、同所で門西タミ(明治三七年三月三一日生)をはね、頭蓋骨々折により即死させた。訴外南完伊は運送業を営む被控訴人に雇われた運転者であつて、本件事故当時、被控訴人の営業のため、同被控訴人がその営業用に供する同被控訴人所有の前車を運転中、本件事故が発生した。以上の事実は当事者間に争いがない。

本件事故現場附近の事故発生当時の状況、訴外南完伊運転の前車及び訴外土手宏朗運転の後車の進行状況その他本件門西タミ死亡事故発生に至るまでの経過に関する当裁判所の判断は、原判決理由二冒頭四行目から同三枚目裏一〇行目までと同一であるから、ここに引用する(但し、(一)同三枚目表五行目に「左側部分」とあるを「右側部分」と訂正し、(二)同三枚目表一一行目に「前車が右内小回りを始め」とあるを「前車が右折のため交差点の中心の直近の内側を回ろうとして」と訂正する。)

右認定事実によれば、訴外南完伊は、事故現場である交差点から東北方約五〇米の東海道本線高架下から通称福町十三線道路を右交差点に向い、道路の中央から左側部分の中央近くを南進してきたが、交差点を右折するため、その手前三〇米の地点から右側の方向指示器を点滅して右折の合図をし、時速約一〇粁に減速して道路の中央によつて進行し、交差点に入り、右折を開始したものと認められるから、右折を開始するまでは訴外南完伊は自動車運転者として通常守るべき注意義務を尽したものというべく、同人に過失があつたとすることはできない。控訴人は、訴外南完伊が右折に際し後方の安全を確認する義務を怠つた旨主張する。しかしながら訴外南完伊は、交差点の手前約三〇米の地点において、既に道路の中央に寄つて進行し、その進行速度を時速約一〇粁に減速したのであり、訴外土手宏朗は訴外南完伊運転の前車の後方から制限速度三五粁を越えるおよそ四〇粁の速度で進行し、交差点の手前約二〇米の地点において、前車を追い越そうとして道路の中央より右側部分に出たのであるから、両車の進行速度から推定すると、前車が交差点の手前三〇米の地点を進行していたときは後車はその後方九〇米から一〇〇米の地点を進行していたことになり、前車が交差点の手前二〇米の地点を進行していたときは後車はその後方六〇米ないし七〇米の道路中央右側部分を進行していたことになるので、本件事故当時の現場附近の道路状況も参照して検討すれば、訴外南完伊が右折開始後はじめて後方三、四米に後車を発見したとしても、この場合同人に後方確認義務を怠つた過失があつたとすることはできない。けだし、通常自動車運転者が交差点を右折するに当つて、本件のように交差点の手前三〇米の地点から右側の方向指示器を点滅して右折の合図をして道路の中央線一ぱいに寄つて進行するときは、後続車輛としては、右折車輔との衝突を避けるに必要な車間距離を保持するのは当然の義務であり、かつ追越禁止の場所である交差点において右折の合図をしている右折車輛を追い越してその進路を妨害することは法規上も許されないところであるから(道路交通取締法施行令(昭和二八年八月三一日政令第二六一号)第二三条一項、第二四条二項、第二七条)、右折車輛としては、後続車輛が右のような注意義務を遵守するであろうことを信頼して、安全に交差点を右折するため、もつぱら対向車や横断歩行者等に対する前方の安全を確認すべき注意義務が要求されているのであつて、特別の事情のないかぎり、訴外土手宏朗運転の後車のように、道路の中央線から右側部分に出て、あえて交通法規に違反し、交差点において右折の合図をしている右折車輛を追い越そうとする車輛のありうることまでも予想して、後方の安全までも確認すべき注意義務はないものと解すべきである。

ところで、本件事故発生当時施行されていた道路交通取締法(昭和二二年法律第一三〇号)第一四条一項、二項の規定によれば、自動車の右折は公安委員会が特に必要があると認めて指定した場所以外においては、交差点の直近の外側を回つてしなければならない旨規定しているところ、訴外南完伊か本件交差点を右折するに際し、交差点の中心の直近の内側を徐行して回ろうとしたことは前記認定のとおりであるけれども、本件事故発生当時における大阪府交通取締規則(昭和三〇年六月二五日大阪府公安委員会規則第三号、昭和三〇年八月二五日大阪府公安委員会規則第一五号)第七条の規定によれば、自動車は別に告示する場所以外の交差点において右折しようとするときは、あらかじめその前の方からできる限り道路の中央によつて交差点の中心の直近の内側を徐行して回らなければならない旨規定し、法の原則とは反対の規定をしていたのであつて、本件交差点が別に告示する場所に含まれていなかつたことは弁論の全趣旨によつて明らかであるから、訴外南完伊が本件交差点の中心の直近の内側を徐行して回ろうとしたことは正に右規則に従つた正当な行為であつて、何らの過失はなかつたといわなければならない。

他方、訴外土手宏朗についてみると、訴外土手宏朗は、(1) 法定速度を遵守せず、(2) 追越禁止の場所である交差点(道路交通取締施行令(昭和二八年八月三一日政令第二六一号)第二三条一項)において、(3) 追越を禁止されている右折の合図をしている前車(同令二七条)を、追い越そうとしたものであり、(4) 追越の方法として、前車の速度進路等に応じて、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならないとされているのに(同令二四条二項)、このような措置もしなかつたのであつて、本件における前車と後車との衝突は、もつぱら訴外土手宏朗の過失によるというべきである。そして、前車と後車が衝突した際、訴外土手宏朗は運転を誤つて加速したため、車道から約一五糎高い歩道にまで乗り上げ、歩道上にいた門西タミをはね、本件門西タミの死亡事故が発生したのである。

してみると、本件における前車と後車との衝突ひいては本件門西タミの死亡事故は、すべて訴外土手宏朗の過失によるというべきである。そして、成立に争いのない甲第三号証の五、六、原審における被控訴人本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、前車の保有者である被控訴人に運行上の過失がなかつたこと、前車に構造上の欠陥及び機能の障害のなかつたことが認められ、この認定を左右する証拠がないから、被控訴人は、本件門西タミの死亡事故について、自動車損害賠償保障法三条に基づく損害賠償責任を免れるものといわなければならない。

よつて、控訴人の請求を棄却した原判決は正当であるから、民訴法三八四条、同法八九条、九五条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平峯隆 裁判官 中島一郎 裁判官 阪井いく朗)

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